「女性400人のLINEが途絶えた」借金よりも苦しかったことと、返済への道のり
孤独に干された借金男の大逆転劇
──預金残高5億の人生から、3億の借金人生に転落して、自殺まで考えた朝比奈さん。親友と師匠の支えで何とか踏みとどまった第3話もなかなか壮絶でした。今回の第4話では、クビになった後の周りのリアルな反応や、億の借金を返済するまでのお話をお聞かせください。
自殺せずに踏みとどまって良かったと、今でもつくづく思います。ただ、クビや借金の本当の大変さを知るのはこの後でしたね。借金返済の目処は何とか立ちましたが、辛い事件がたくさん起きました。
借金を背負った後のライフスタイル。クビになって離れていく女性たち
──億万長者から借金生活になって、ライフスタイルはどのように変わりましたか?生活水準などは下げざるを得ないと思うのですが。
幸いにも普段から贅沢をする性格ではなかったので、個人の生活水準はそこまで変わりませんでした。1人のときはご飯をチェーン店の牛丼で済ませたりする性分だったので。
ただ、飲み会の誘いを断らないといけない立場になったのは申し訳なかったですね。あとはタクシーで移動できなくなったこと(笑)これは辛かったです。毎日タクシーで移動していたので、はじめの頃は歩いたり電車移動したりがかなりストレスでした。
──著名人の方がネタのように言う「電車の乗り方がわからない」ってやつですね(笑)
もちろん僕の場合、乗り方はわかりますよ!(笑)けど、高い所得をいただく前は当たり前のように電車移動だったのに、お金を持ってタクシー移動が当たり前になっていたんですよね。驕っていました。
──人間関係は変わりましたか?
様変わりしましたね。特に女性関係は分かりやすく変化しました。LINEで言ったら、ざっと400件くらいですかねー、女性との連絡が途絶えました(笑)
──女性400人、信じ難い人数です。。詳しくお聞かせ願えますか?
それこそクビになってすぐ、精神的な疲労からか風邪を引いてしまったんです。家に1人だとキツくて、すぐによく連絡を取っていた看護師に「来て欲しい」って連絡をしました。社長時代にいくつかの病院の看護師たちと付き合いがあり、体調がキツいときには家に来て看病をしてもらっていたんですよ(笑)それがクビになった後に同じことをしたら、ほとんどの看護師に無視されてしまい、返信を返してくれた子からも「出勤中だから無理」と冷たく断られました。結局50人くらいのナースに拒まれまして(笑)あーこれはクビになった噂が広まっているな、と確信しましたね。
──風邪を引いたとき、家に看護師を呼んで看病してもらうって初めて聞きました(笑)
今思えばすごいことをやっていたなと自分でも思います(笑)昔なら5人か6人くらいの看護師に連絡したら、誰かは絶対に家に来て僕を看病してくれましたからね。明らかにみんなの態度が変わったことに気が付きましたよ。
他にも情報のキャッチが早い社長令嬢系とも、100人くらい関係が切れてしまいましたね。ブロックされたかは知りませんが、仲の良かったグループLINEの投稿が突然なくなったり、毎月必ずあった社長パーティーに急に誘われなくなっちゃったんですよねー。
──他の方々とは、どのように縁が切れてしまったんですか?
10から20人程度ですかね、芸能人のお友達がいたんですが、食事の誘いがぱったりとなくなりました。
女医とかCAとか、いわゆるハイグレード系の女子もグループLINEなどで100人以上つながっていました。J○LやA○Aの国際線LINE、国内線LINE、女医内科LINE、女医外科LINE、他にも様々な合コンや飲み会のグループLINEがあったんですよね(笑)彼女らもどこかで僕がクビになったと耳にしたんでしょう。あるときから急にグループへの投稿がなくなりました。たぶん新しいグループLINEでも作って、僕を自然と外したんだと思います。
──まずそんな意味深なグループLINEが多数存在していることに驚きましたが、社長をクビになっただけで関係を切られてしまうものなんですね。
西麻布や六本木関係の女性も酷かったですね。社長のときは営業の連絡が毎日数十件近く来ていて、クビになった後もそれが続いたんですが、「今日来てよー」と言われて「社長じゃなくなったから、しばらく行けないや」みたいな返信をしたら、なんかそこから未読スルーとか既読スルーされちゃいました(笑)夜の関係だと100人くらいの女性とやり取りしていたのですが、タイムラインも見れなくなったのでたぶん100人ほぼ全員ブロックされましたね。。
──たしかにざっと400人、いきますね、これ。。
なんか話していて泣きそうになってきたんですけど(笑)今思い返してもキツいものがありますね、実際。生活水準を下げないといけなかったことよりも、僕がクビになっただけで関わっていた女性たちが露骨に離れていったことの方が衝撃的でした。だいぶ仲の良い女性も多かったので、精神的にキツいときは正直頼りたかったですし、孤独を感じましたね。借金の重みを感じましたし、自分がいかにお金や肩書きに頼った人間関係を築いていたかを思い知らされました。猛烈に反省したのも覚えています。
3億円返済への道のり。靴の事業に挑戦
──次に、借金返済までの道筋をお聞かせください。
師匠に借りた3億円を返すために、靴のビジネスを立ち上げました。額的に普通の仕事に就いても返済できないので、今一度ゼロイチで事業を開始した感じです。
──どのような事業ですか?
日本国内で独立している靴職人の中で、日陰にいる方々を取りまとめて、海外で靴の店舗を出店しようと目論みました。まず僕が百貨店や代理店に営業して、自分たちで作った靴を卸してもらい、うちの靴職人をどんどん有名にします。そうして有名になった靴職人たちとパリに行き、ジャパンブランドを展開しようと考えました。
──会社のメンバーや創業資金は、どのように用意されたんですか?
知人に紹介してもらった小川智史さん(仮名:以下「小川」)と一緒に立ち上げました。創業資金はさすがに師匠に頼りたくなかったので、社長時代に知り合いだった個人投資家の方に事業のプレゼンをして、何とか5,000万円を融資していただきました。
──その状態で融資を受けられるのは、さすがの人間力ですね。
もう後がないので、とにかく全力でしたね。2015年の12月には事業をスタートして、末には恵比寿に物件を決めて、すぐにパリの物件の捜索を開始。物件の目処を付けたら視察は小川に任せて、初期費用でかかるであろう現金500万円、そして足りない場合に備えて法人の通帳とキャッシュカードも預けて、年末にはパリに飛んでもらいました。
途絶えた希望。2度目の失敗。さらに増えた借金5,000万
──ものすごいスピードで動かれましたね。パリでの物件視察は上手く行きましたか?
それがですね、出国してから小川と連絡が取れなくなり、消息不明になってしまったんですよ。ちょうどパリ同時多発テロ事件の直後でもあったので、何か事件に巻き込まれたかもしれないと心配になり、年始には僕自身もパリに飛びました。
──それは視察どころの話じゃなくなります。小川さんの安否が心配です。
そうなんですよ。パリに着き、目処をつけていた物件の不動産屋に行きました。そこで「最近日本人は来たか?」と聞いたら、「日本人?来てないよ」と言われ、これはまずい!と思い、すぐにパリの日本国大使館に向かいました。すると、そこでも「日本人が絡む事件は起きてないよ」と言われ、あれ何かおかしいな、と。とは言っても、まだ明るみに出ていない事件に巻き込まれた可能性もあったので、一旦日本に帰国して連絡を待つことにしました。日本での仕事もこなさないといけなかったので。
──日本に帰国されてから、音沙汰はありましたか?
全く音沙汰がなかったので、探偵に調査を依頼しました。したら一ヶ月くらい経ったタイミングですかね。まさかの日本で見つかったんです。事態は思わぬ方向で終結しました。小川が現金500万と法人口座のお金を持って、逃げていたんです。
──えっ、まさかの持ち逃げですか。。
これは、さすがに怒りを覚えましたね。ただまあ、事情は聞かないとなと思い、一旦冷静になって会うことにしました。
──会社のお金を持ち逃げした方との面会、どんな心情でしたか?
顔が会った瞬間に土下座をされて、僕と同じように数千万円の借金があったと説明を受けました。持ち逃げしたお金をその返済に当てさせてもらったと。僕と同じ境遇だったからですかね、怒鳴りつける気でいましたが、実際に会ったら怒れませんでした。
──同じ目にあったら、大多数の人は怒鳴りつけると思います。安否を心配してパリまで捜索にも行ってあげていますもんね。
今回の件に関しては、僕にも責任がありましたからね。裏切られない深い信頼関係を築くことができなかった。そしてその状態で、大事な仕事とお金を任せっきりにしてしまった。社長をクビになったときも、結局は身内の信頼関係を構築できなかったのが一番の原因だったと思います。また、全く初歩的な部分でつまずいてしまいました。
──その後、靴の事業はどうされたんですか?
資金も人も足りなくなってしまい、靴の事業は畳むことになってしまいました。借金を返そうと思ったら5,000万円増えてしまい、合計で3.5億に膨れ上がってしまいました。一度落ち着こうと思い、師匠のお言葉に甘えて、師匠の家で家政婦さんをさせてもらうことになりました。とにかく身体と時間を使って少しずつ返済していこうと。
師匠の言葉で、ラストチャレンジ。時計の事業に挑戦
──家政婦さんと言うと、師匠の家を掃除したり、食事を作ったりですか?
そうですね。家事全般です。あとは他にも僕の好きな時計の知識を活かして、師匠が毎日付ける時計を選んでいました。TPOやお会いする方に合わせて、ブランドやデザインを選ぶイメージです。したら、あるとき、師匠に「俺の知り合いの経営者を100人紹介するから時計のコンサルを事業化しろ。お金にしてみろ。」とアドバイスをいただき、時計の事業を立ち上げることになりました。
──時計のコンサル、具体的にはどのようなことを?
お客様のライフスタイルや趣味、その用途に合わせて時計を提案しています。契約期間中は、時計のコーディネートや時計のメンテナンス、TPOに関わるマナーのレクチャーも行い、お持ちの時計を売って、よりその方の理想にふさわしい時計を新しく案内するサービスも行っていました。ただ、師匠のご紹介はお金をかなり持たれている方々ばかりだったので、コンサル内容も代金も基本的には人それぞれで、具体的な金額をこちらから提示することはしませんでした。
──えっ、コンサルフィーは決めずに、言い値で?事前に決めておかないと無料がいい、と言われてしまう気もします。
お金に関してはだいぶ悩みましたね。でも金額は設定しませんでした。契約時に金額を決めずに、あくまで謝礼という形でいただいていたので、もちろん無料、というか教えるだけ教えて最終的には何もない、なんてお客様も多々いらっしゃいましたよ(笑)
──ですよね、結果的に無料になっちゃうパターンが多くなってしまい、借金を返せないんじゃないかと思ってしまいました。
金額を設定しなかった理由は、利害関係ではなく人間関係を意識して仕事に臨みたかったからです。お金持ちの方ばかりなので、友達のような関係を構築するのが理想だなと。結果的に、ですけど、お金を持たれている方々は僕が働いた分に見合う、いや、もはやそれ以上の謝礼をくださるんです。だから借金が減らない、なんてことはありませんでした。
──印象に残っているエピソードなどあれば教えてください。
ある有名企業の会長をお相手したとき、「3,000万で新しい時計が欲しい。」とオーダーを受けました。でもその会長、パテ(編集部注:パテックフィリップ)はもちろん、ブレゲなどの高級時計もひと通り持たれている方なんですね。しかも普段使われているのは、セイコーのどこにでもあるモデルで、聞くとその時計は現社長である会長の息子さんが初任給でプレゼントされた時計だったんです。これは3,000万円で新しい時計を買ってもなぁと悩みまして、結果的にセイコーのオーバーホールを提案しました。会長は最初その提案に驚いていましたが、最後には了承いただき、時計をメンテして、研磨して、綺麗する仕事を請け負いました。
──オーバーホール後、会長の反応はいかがでしたか?
泣きながら喜んでくれましたね、「俺はこれが欲しかったんだな」と。結局かかったのはオーバーホール代の10万程度で、当初オーダーを受けた3,000万円とは程遠い金額でしたけど、やっぱり、どんなに高い時計だとしても大切な方にもらった時計には敵わないです。とんねるずの石橋貴明さんも、売れだした時にプレゼントされたロレックスを大事につけてますよね。お金に変えられない価値があるんですよね。
──感動的なエピソードですね。お客様が本当に喜ぶこと、本当に求めていることを、とことん考え抜いて、提案する。素晴らしい仕事術だと思います。
お客様が感動してくれて、そこではじめて仕事が成り立ちますからね。フットワークもとにかく軽くしていました。
マカオにいるお客様から「カジノで3億勝ったから、今すぐ時計を買いたい。来れないか?」と国際電話をいただいたときも、その日にマカオへ飛びました。しかもそのときは、マカオに着くなり「うち2億でパテックフィリップのコンプリケーション限定モデルを買いたい」とのオーダーを受けて、そこからすぐにパテのスイス本社に飛びまして、指定された時計をスイス本社で契約してマカオにトンボ返りする、なんて荒業でした。パテのコンプリケーション限定モデルはスイスの本社でしか取り扱ってなかったんで(笑)
──日本からマカオ、すぐにスイス、そしてマカオ。いや、もう、すごいのひと言に尽きますね。「フッ軽」という言葉が流行っていますが、まさにその極みです。謝礼について、お聞きできる範囲で教えていただけたら嬉しいのですが。。
謝礼ですね(笑)本当に様々ですが、そのマカオのお客様には4,000万程度の謝礼をいただきました。その場でお客様とカジノを楽しみ、1,000万円擦ってしまったので、利益は3,000万円になってしまいましたが(笑)先程お話したセイコーの時計をオーバーホールさせていただいた会長からは、3,000万円のうち使わなかった予算をすべていただけました。
インタビュー当日、ちょうどお客様からメンテナンスのために預かっていた時計。親子2代に渡って使い込まれているという、ロレックスのデイトジャストです。許可を取って見せていただきました。「これが最高にカッコいい」と笑顔で語る朝比奈さん。
──残りすべて。。たしかオーバーホール代が10万円程度と仰っていたので残り2,990万円が全額謝礼ということですか。。この規模の謝礼となると、借金もすぐに返済できたのではないでしょうか?
どちらもかなり稀な例ですよ、だから印象に残っています(笑)1,000本近くの時計をご案内させていただきましたが、うち200本くらいはGショックの相談で、一緒にご案内はしますがGショック程度では謝礼をいただけないので、代わりに、お金を持たれていて時計が好きな方、または時計を買いたいと思われている方をご紹介いただいていました。
──朝比奈さんのお話を聞いていると、お金ベースではなく、人ベースで事業を考えられているのが物凄く伝わってきます。
その結果、3.5億も借金してますけどね(笑)でもありがたいことに、時計コンサルを発端に各界著名な方々、有名経営者や政治家を中心に人との繋がりは一段と増えました。そのような方々に呼ばれて、僕の人生を人前で講演する機会をいただいたり、仕事の幅も広がっています。時計コンサルの事業をはじめて1年ちょっと、周りのみなさんのご支援のおかげで、やっと借金返済の目処も立ってきました。まだ億の借金は残っているんですけど(笑)けど、本当に人に支えられているなと思います。
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