戦国武将の生き様に学ぶ。現代人こそ取り入れたい“5つのエッセンス”
営業の世界で生き抜いてきた中で、自分に限らず多くの人々の人生に触れてきました。Smartlogでは、人生がより素敵になるエッセンスをお伝えしていきます。一回目は「戦国武将」にフォーカスいたします。
今日忘れがちな「人の大切さ」
情報が散乱し、不確定要素の多い現代。すべてが複雑すぎる時代だからこそ、シンプルで根本的な部分を忘れがちな時代です。毎日ニュースやSNSから入ってくる情報を取捨選択できず、多くの情報に惑わされ、本当に大切な部分を疎かにしてしまってはいませんか?それは「人を大切にすること」。
当たり前じゃん!と思われることかもしれません。しかし、実際に大切にするのはとても難しいことではないでしょうか。
そこで連載一回目の今回は、群雄割拠の戦国時代に生きた信長、秀吉、家康の3人の歴史に学ぶ「人の大切さ」について触れていきます。※賛否両論あるかもしれませんが、私なりの見解を述べさせていただきます
まずは一人ひとりの歴史を軽く覗いていきましょう。
天下統一の夢が叶わなかった「織田信長」
“鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス”
恐怖で人々を支配していた信長。猜疑心が強く能力主義で、能力がないものは容赦なく切り捨てる性格で、力で押し通すという圧倒的な影響力を持っていたそうです。力のある家臣も思うように動かなければ切り捨てるという残虐さが目立っていました。結局のところ、最期は家来の明智光秀から裏切られる形となり、天下統一は叶いませんでした。
織田信長の生涯から学べること
天下を志すも道半ばで倒れた信長から学べることは、圧倒的な恐怖で支配して一時的に人は動かせるが長くは続かないということ。恐怖モチベーションが強いと【裏切り】が生まれやすくなるのかもしれません。
天下統一するも続かなかった「豊臣秀吉」
“鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス”
頭が良く人たらしの名人で、信長の没後に天下を取った秀吉。農民から天下人になったという異例の大出世の秀吉ですが、秀吉の没後に権力を増した徳川家康に天下を取られ、最終的に豊臣家が滅ぼされてしまいます。
豊臣秀吉の生涯から学べること
天下統一という偉業を成し遂げるも続かなかった秀吉から学べることは、権力に目が眩んではいけないということです。独裁的になりすぎて損得勘定での付き合いしか出来ていなかったがために、秀吉無き後に、内部分裂が起こった可能性が考えられます。損得勘定なしで豊臣家の為に旗をあげるという真の仲間が、同志が少なかったのかもしれません。
天下泰平の世を作り上げた「徳川家康」
“鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス”
織田信長、豊臣秀吉と同じ世を過ごしながら、長らく花咲かなかった家康。しかし最後の最後で天下統一を成し遂げ、江戸時代という天下泰平の世を作り上げました。時間はかかったものの、功績の大きさは信長や秀吉と比べ物になりません。
徳川家康の生涯から学べること
幼少時代から苦労人の家康は、忍耐強い性格の持ち主。幼き頃から裏切り行為などを沢山見てきた経験から、感情的で私利私欲の言動では、短期的な結果しか生まれないことを知っていました。堅実で長期的な視野を持ち、元敵将をも味方にした家康は、忠誠心を持った家臣団が揃えることができ、その結果265年続く江戸時代を築き上げたのではないかと考えます。
人を大切にする人間こそが、最終的に幸福を築く
道半ばで散った信長・秀吉と、幸福を築いた家康の違いは何だったのでしょうか?頭脳、運、性格…様々あることでしょう。しかし、決定的な違いは「人を大切にするかどうか」だと考えます。
では、「人を大切にする」とは具体的にどんなアクションなのか?信長・秀吉・家康、3人の天下人の生き様から分かる、私たちが大切にしたい「シンプルな」アクションを5つご紹介します。
1. 身近な存在を大切にする
家康が使った言葉で「水はよく舟を浮かべ、またよく覆す」という言葉があります。水は部下、舟は主人という意味で、部下は主人を浮かべることもできるし沈めることもできるという意味が込められています。
経験から裏切りが一番怖いことを知っていたため、昔から支えてくれた戦国時代最強と言われる本田忠勝を始めとした徳川四天王や徳川十六神将と呼ばれる側近や家臣達を本当に大切にしたと言われています。
現代に置き換えると自分、家族、恋人、会社の仲間などが身近な人でしょうか。身近な存在を心から大切にしている人は、お客様も心から大切にできているなと感じます。反対に身近な存在を大切にできていない人は、心からお客様を大切するという感覚が分からなかったりするものです。
2. 必要な時に厳しいことを言える
「勝つことのみ知りて負けることを知らざれば、害その身に至る」という家康の言葉があります。勝つ経験しかせず負ける恐怖がなければ、油断が生まれ大きな事態になるという意味です。家康はこのことを十分知っていました。そのため、相手の命に関わる、人生に関わることは、理不尽でも厳しく言える強さを持っていました。
現代は、自分がどう思われるかを気にしてしまうことが多く、嫌われたくないという思いから厳しいことが言えない人が増えています。これからはその人の人生にとって良くないと思ったら、はっきりと厳しいことを言える強さが必要です。その想いは必ず相手に伝わります。自分を叱ってくれる人というのは、その人にとっては貴重な存在だと気が付くからです。
3. 認めて、褒めて、受け入れる
家康は家臣の芽を摘まないため、どんな時も辛抱強く話を聞くようにしていたと言われています。相手の気持ちを受け入れるから、自分の気持ちを受け入れてくれるのを知っていたのでしょう。信長や秀吉は我が強く、受け入れるということを怠ったため、不信感の原因になったのかもしれません。
現代であれば、黙って話を聞いてあげたり、「素敵ですね。」と褒めたり、「○○さんのお陰で今の私があるんですよ。」と認めたり、「○○さんという人がいるのですが、本当に心が綺麗な方で、助けて頂いた恩人なんです。」と色々なところで紹介したりすることです。心からの感謝や、少しでも恩を返したいという気持ちは伝染します。そして、心から感謝されて、恩を返したいと思われる人になります。
4. 人のピンチに寄り添える
家康は信長の家臣の時代に、不利な戦でも信長との同盟を破棄せずに先陣を切って戦う姿勢から信頼を得ています。義を重んじ、命を失うかもしれない状況下で助けてくれる存在は滅多にいないからです。
現代でも自分がピンチの時に助けてくれる人はどれくらいいるでしょうか?上手くいっている時には力を貸してくれるけど、ピンチになったら離れてしまうという人は沢山います。だからこそ、ピンチの時にこそ寄り添ってくれたり、掛け値なしに力を貸してくれる人は、一生の恩人になれるのでしょう。
5. 相手のために心遣いをする
家康が九戸政実の反乱を、格下の家臣ではなく徳川四天王の井伊直政に鎮圧させようとした時、「先ず部下を行かせ、部下に手に負えなかった時に行かせるべきでは?」と周りに忠告されました。その際、家康は「手に負えなかった場合初めに行った者が立場を失って討ち死にしてしまうではないか。」と切り捨てたそう。適材適所を見極めて、家臣の心遣いをした家康の思慮深さが伺えます。
自分が心遣いをしているからこそ、相手からされた心遣いも気付くことができます。自分がされて嬉しいことは相手にもしますし、相手がどんな気持ちになっているかも敏感に察知することができます。
例えば、誕生日メッセージは送った側は何の気なしに送っているかもしれませんが、送られた当人にとっては嬉しいものです。誕生日や祝い事などは、できる範囲で心遣いの行動に移してみてはいかがでしょうか?
まとめ
財や知性も大切です。しかし一番大切なのは「人」です。家康が天下泰平の世を成し遂げ、江戸時代をつくり上げることができたのは「信頼でき、慕ってくれる家臣が揃っていた」から。事実、秀吉が家康に「お主の宝物はなんだ?」と訪ねた時に「私にとって一番の宝は、私のために命を賭けてくれる部下が500人いることです」と言い放ったといいます。
現代社会でも同じ。やはり最後は「人」です。人として大切なことをやり続けることが、これからを勝ち抜く秘訣ではないでしょうか。短期的で表面的なノウハウや情報に惑わされず、長期的で本質的な「人を大切にする」人生にできれば、人生の幸福度も上がることでしょう。
筆者紹介【高橋尚志】
(株)Light&Hope 代表取締役。1987年6月1日横浜生まれ。早稲田大学スポーツ科学部在学中に「自分の可能性を試したい」という思いで起業を志し、就活せずに卒業。